2023.1.19 藤本弁護士

公正証書遺言における「口授」の要件について


 初投稿します。弁護士の藤本です。これから弁護士実務上の重要な論点等について投稿していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 今回は、公正証書遺言の手続として要求される「口授」(民法965条)が、どのような場合に肯定され、または否定されるのかについて、東京高判平成15年12月17日(金法1708号46頁、第一審:東京地判平成15年5月7日・金法1691号47頁、上告審:最三小決平成16年6月8日)の事案を題材として、私なりに考察していきます。

【事案】

   Ⅰ弁護士は、かつて甲山C美(被相続人)(以下「C美」という。)の実母で平成9年11月3日に死亡した
   乙川D代(以下「D代」という。)の遺産分割調停においてC美の代理人として調停手続を遂行したことが
   ある。
    なお、D代には、法定相続人として、長女C美のほか、乙川E雄、乙川F郎、乙 川G介及び丙谷H江がい
   た。
   平成12年8月初めころ、C美の二女甲山A子(控訴人)(以下「A子」という。)からJ病院に入院してい
   るがI弁護士との面会を希望しているとの連絡を受け、同月3日午後2時ころ、J病院に赴き、C美と面会し
   たところ、C美は、重態というわけではなく、意識も明瞭であったが、今後大きな危険を伴う治療が始まる
   ので、その前に遺言書を作成したいという旨の申し出を受けた。
   そこで、I弁護士は、A子(控訴人)を病室の外に退出させ、30分ないし40分間にわたり、C美から次の
   内容の遺言事項を聴取した。
    不動産は売却し、諸費用・税金を控除した残額を子ら三人※に平等に相続させる。
    ※ 「子ら三人」とは、長男甲山B夫(以下「B夫」という。)(被控訴人)、長女 丁沢N子(以下「N
     子」という。)及びA子(控訴人)である。
    動産は、すべてA子(控訴人)に相続させる。
    ②の動産は、預金、株式その他の財産をすべて含む。
   甲はD代の相続について、遅くとも平成10年8月13日までには遺留分減殺請求を受けていた(平成14年12月
   9日訴訟上の和解にて解決)。I弁護士は、この遺留分問題が解決していないことを承知していたので、D代
   の遺言執行者が保管している株式等をどのように処分するのか尋ねたところ、C美は、それらも自分の所有に
   なったときは、⑶と同様に処理することを希望した。
   そこでI弁護士は、直ちに、C美の遺言内容を整理した書面を作成のうえ、K公証役場のL公証人に対し、
   事情を話して同書面をファクシミリにより送信するとともに、遺言者が入院中で緊急を要する旨伝え、平成12年8月
   10日にL公証人並びに証人となるI弁護士及びM弁護士がJ病院のC美の病室に赴くこととした。
   E公証人は、I弁護士から送付された書面に基づき、C美の遺言の内容を公正証書要旨に清書した遺言書
   案(以下「本件遺言書案」という。)を準備した。
   I弁護士は、平成12年8月10日午後1時半過ぎころ、D公証役場に立ち寄ってL公証人と合流し、同公証人
   及び同公証役場の書記とともにJ病院に行き、午後2時ころ、C美の病室に入ったところ、室内にはC美とA
   子(控訴人)が居たが、A子(控訴人)は挨拶が終わるとすぐに退室した。
   L公証人は、証人として立ち会うことになっていたM弁護士が到着するまでの間、5分ないし10分間にわた
   りC美と会話をし、その中でC美は、自分の病状のほか、長男であるB夫(被控訴人)には相続させる意思が
   なく、B夫とN子(長女)の遺留分に相当する財産のほかは末娘(二女)であるA子(控訴人)に相続させた
   いと考えていることなどの話をしていた。
    L公証人は、M弁護士の到着後、I弁護士を通じてあらかじめC美の意向に沿うように内容を整理して準
   備した遺言書文案をC美に交付し、「今からあなたの遺言内容を読むので、間違っているところや、意見が異
   なるところは言ってください。」と述べて、その遺言の内容の読み聞かせを開始した。
    L公証人は、C美及び立会人であるI弁護士とM弁護士の面前で遺言書文案を各項目ごとに読み聞かせ
   て、その都度C美に真意を尋ねたところ、C美は、その都度うなずいて内容を了承し、遺言書文案の二項中に
   「乙川A子」とあるのは「甲山A子」の誤りであることを指摘して訂正を求めたうえ、読み聞かせが終了した
   後、L公証人が「このとおりで間違いありませんね。」と尋ねたところ、C美は、「そのとおりで間違いあり
   ません。よろしくお願いします。」と答えた。
    そこで、L公証人は、C美から訂正の申出のあった箇所を訂正し、これをC美に示して訂正の確認を得たと
   ころ、C美及び立会証人であるI弁護士とM弁護士は、平成12年8月10日付遺言公正証書(以下「本件公正
   証書」といい、その遺言を「本件遺言」という。)の原本となる本件遺言書案に署名、捺印をした。
    なお、本件公正証書には、「私、甲山C美は、私所有の財産につき次のとおり相続する。」との前文に引
   き続き、一項に「不動産については、一切を長男甲山B夫、長女丁沢N子、二女甲山A子の三名に均等の割合
   で相続させる。この不動産には、亡母乙川D代の財産について相続した分(遺留分減殺請求を受けたため未確
   定)も含む。」旨が、二項に「私の所有する動産(預貯金等も含む)は、すべて二女甲山A子に相続させる。
   この動産の中には、亡D代の財産について相続した分(遺留分減殺請求を受けたため未確定)も含む。」
   旨がそれぞれ記載された、ほかにC美の遺産の処分に関する記載はない。
    被控訴人(B夫)は、C美がD代から相続した株式について、準共有持分がC美の遺産である旨主張し、
   B夫の法定相続分相当分(3分の1)の準共有持分(以下「本件準共有持分」という。)を有することの確認
   を求めて提訴したのに対し、控訴人(A子)が、本件遺言により本件準共有持分を相続により承継取得した
   としてこれらを争った(以下「本件」という。)。
    本件の第一審判決は、本件遺言の作成手続において、公正証書遺言の要件である口授があったとは認められ
   ないから、本件遺言は方式違反により無効であると判断し、被控訴人の請求を認容した。
    そこで、控訴人(A子)がこの第一審判決に対して控訴した。

【本件の判旨】

 第一審判決について

   民法969条が公正証書遺言の要件として、遺言者の口授を要求するゆえんは、遺言者の真意を確保する適切
   な手段であるという点にあるのだから、必ずしも遺言の内容の一言一句すべてを遺言者が口述するまでの必
   要性はないものの、公証人が遺言者の真意を確認できる程度には、遺言の概要について、遺言者から口述さ
   れる必要があると解され、また、同条三号が読み聞かせを、同条四号が遺言者による筆記の正確なことを承認
   した後の署名を、同条二号の口授の要件とは別に規定していることからすれば、草稿の読み聞かせとそれが間
   違いない旨の承認をしただけでは、同条三号及び四号の要件を満たしても、それとは別の要件として規定され
   ている口授の要件を満たしたと認めることはできない。
   しかるに本件では、L公証人が、C美から直接口述されたのは、乙川A子ではなく甲山A子であるとの点
   及び本件遺言の草稿を読み上げた後の間違いないかとの問いに対して、それで間違いない旨の回答だけであっ
   て、遺言の内容については、一切口述されておらず、結局、C美からL公証人に対して、本件遺言の概要につ
   いてすら口述がなされていないのであるから、公正証書遺言として民法969条二号が要件とする口授があった
   とは認めがたいといわざるを得ない
   なお、本件遺言は、C美が、I弁護士を代理人としてL公証人に嘱託して作成されたものであり、C美は、
   本件遺言の概要をI弁護士に口述し、これをI弁護士が書面にして伝えていることが認められるものの、L公
   証人が認識した本件遺言の概要は、あくまでもⅠ弁護士を介した伝聞に過ぎず、誤謬を含む危険がある以上、
   民法969条二号が口授を要件とした、遺言者の真意確保の手段という前記趣旨からいっても、前記のとおり口
   授があったと認めることはできない
    現に、本件では、被告(A子)の主張によれば、C美の本件遺言による真意は、不動産については、原告
   (B夫)、被告(A子)及びN子の三人に等分に相続させ、その余の財産は全て被告(A子)に相続させると
   の趣旨であったというのであるが、本件遺言の文言上は、被告(A子)に相続させる財産としては、「動産
   (預貯金等も含む。)」としか記載がなく、本件株式など、不動産を除いたその余の財産全てを被告に相続さ
   せる趣旨であるとは到底認められないのであるから、仮にC美の本件遺言による真意が、被告(A子)の主張
   するようなものであったとすると、そのC美の真意と本件遺言の記載とに齟齬が生じていることになるから、
   実質的に考えてみても、本件遺言の作成手続において、真意確認のための要件である口授があったと認める余
   地はない。

 控訴審判決について

 C美は、平成12年8月10日、J病院の病室において、L公証人に対し、自ら本件公正証書の作成を嘱託し、L
公証人は、同嘱託に基づいて、あらかじめI弁護士がC美から聴取した遺言内容に従って準備した本件遺言書案を
C美に交付
し、これを各項目ごとに読み聞かせて、その内容がC美の真意に合致することの確認を得、条項中の
控訴人(A子)の氏名の誤記についてC美からその場で訂正の申入れを受ける
ことにより、C美から本件公正証書
遺言の趣旨の口授を受け
、C美並びに証人として立ち会っていたI弁護士及びM弁護士がその筆記内容の正確なこ
とを承認の上、各自署名、捺印したものということができる。
 したがって、本件公正証書は民法969条所定の方式を履践して作成されたものであって、本件遺言は有効なも
のであると認めることができる。

 上告審(最三小決平成16年6月8日)について

 上告棄却、上告不受理

【判例の傾向】

 遺言者の発言について

  口授が問題となった事案において、遺言の作成手続における遺言者の公証人に対する発言の有無・態様について
 は、大きく、以下の3つの類型に分けることができます。

 遺言の趣旨に係る発言がなかった場合(身体的な挙動による伝達の場合を含む)
 公証人の読み聞かせに対し、単純な肯定的発言(はい、それでいい等)あったのみの場合(主としてかかる
 発言があったのみの場合を含む)
 遺言の趣旨に合致する発言があった場合


  以下、それぞれの類型における判例の傾向について見ていきます。

 発言がない場合(1アの類型)について

  判例は、以下の事案で「口授」に当たらないとしています。
   遺言者が発言困難なため、同席の近親者が逐次誘導的に質問を発し、遺言者より公証人に聴き取り難い程度
   の応答があり、これを同近親者が応答の意味を公証人に説明した(大判昭和13年9月28日判決全集5輯20号15
   頁)
   言語で陳述することなく頷いただけ(最判昭和51年1月16日・裁判集民117号1頁、横浜地判平成元年9月7
   日・判時1341号120頁)。
   公証人に対して財産を受遺者に遺贈する言葉を積極的に発言したことが一度もなく、公証人の誘導にかかわ
   らずそれに従った発言をしなかった(東京地判平成5年5月25日・判タ849号230頁、確定)。
   公証役場に相談を含めて3回訪問した際、いずれも遺言内容について何ら具体的に発言することがなかった
   (東京高判平成27年8月27日・判時2352号61頁、上告及び上告受理申立てにつき棄却・不受理)。
    上記②の最判51年1月16日は、『「口授すること」の要件は、判例によって少しはゆるめられてはいるけれ
   ども、少くとも遺言の要旨を把握できる程度の遺言者の口述がなければならないと解される。公証人の質問に
   対し、たとえその質問の内容が遺言者の真意に合致したものであつて、遺言者が何ら言葉を発することなく単
   にうなずいたにすぎないときは、うなずくとは肯定の返事と同じ意味を持つものであるけれども何ら遺言者の
   口述が存しないのであつて、(略)「口授すること」の要件をみたしていないこととなる。(略)仮に質問の
   趣旨を理解した上でうなずいたとしても、うなずいただけで一言もいわなかつたのであるから、遺言者の口述
   がないことに変りはない。』と説示しており、公証人の質問の趣旨を理解して頷いたのだとしても、発言がな
   ければ「口授」にあたらないとしている点が注目されます。

 単純な肯定的発言のみの場合(1イの類型)について

  口授が肯定された例について
   遺言の趣旨を公証人が予め遺言者の作成した書面によって原稿を作成していたところ、遺言者が遺言の趣旨
   過日交付した書面のとおりである旨述べた(大判昭和9年7月10日・大民集13巻1341号)。
   死の床にあった遺言者が遺言作成の公証人への依頼方をX夫婦(夫X1、妻X2)に頼んだため、X夫婦ら
   は、協議のうえ遺言者の意向に添った同人の財産の分配について協議し、X2が内容をメモに作成し、X1ら
   がこれを公証人に交付して遺言公正証書の作成方を依頼したので、公証人は同メモに基づいて筆記を作成した
   うえ遺言者に面接し、公証人が筆記を項目ごとに区切って読み聞かせたのに対し、遺言者は、その都度そのと
   おりである旨声に出して述べ、金員を遺贈する者の名前や数字の部分についても声に出して述べる等し、最後
   に公証人が筆記を通読したのに対し、大きく頷いて承認した(最判昭和54年7月5日・判タ399号140頁)。
   予め弁護士が遺言者と面談して確定した内容の当該遺言書案に基づいて公証人が原稿を作成し、作成当日、
   公証人が遺言者に対し原稿の各条項ごとにかみくだいた説明をし、遺言者も条項ごとに一呼吸おいては「ウ
   ン」と明確に答えた(東京高判平成14年2月28日・公証法学35号134頁)。
   公証人は、あらかじめ被告(二女)を通じて遺言者の意向を確認し、当該遺言書案を用意しており、項目ご
   とに読み上げた後に、各項目について遺言者にそのとおりでよいか否かを問いかけて確認し、この問いかけに
   対し遺言者はそのとおりでよいと逐一答え、その後に公証人が長男(原告)に遺産を相続させないことでよい
   かを確認したところ、遺言者がそれでよいとの回答した(東京高判平成30年9月6日・WJ、第一審:東京地
   判平成29年12月7日・WJ)。
   公証人が遺言者と面談し、その際に聴取した内容に基づき遺言公正証書の原案を作成し、遺言の当日、遺言
   者は、公証人から同原稿の内容を読み聞かせられたうえで、このとおり作成してよいかと問われて、「はい、
   それでいいです」と答えた(東京地判令和4年3月15日・WJ)。
  口授が否定された例について
   受遺者が作成に関わったメモをもとに原稿が作成され、作成当時言語障害を有していた遺言者による簡単か
   つ受動的な言動があっただけ(東京地判昭和62年9月25日・判タ663号153頁)。
   遺言者(当時78歳)が公証人から予め用意されていた書面(X、Yらに土地を三分割する趣旨)を読み上
   げられ、また図面を示されてその内容を確認されたことに対して、「それでよい」と言った事案で、遺言者が
   当該書面や図面の作成に自ら関与するなどして当該遺言の内容について予め十分承知していたと認められる特
   段の事情がない限り、当該発言のみでは「口授」があったものということはできないとした(大阪高判平成9
   年3月28日判時1626号83頁)。
  判例の傾向について
   口授が肯定された⑤、⑦、⑨では、いずれも遺言者がその作成に実質的に関与したものと言える当該遺言書
   案(原稿)に基づいて遺言が行われています(⑤では遺言者自身が作成した案に基づき、⑦では弁護士が遺言
   者と面談して作成した案に基づいて、それぞれ公証人が原稿を作成しており、⑨では、公証人が遺言者と面談
   して聴取した内容に基づいて原稿が作成されています。)。
    すなわち、これらの事案では、遺言の現場での作成手続(以下「遺言の作成手続」といいます。)において
   単純な肯定的言動のみであったとしても、それまでの当該遺言の作成過程(以下遺言の作成手続に至るまで
   の作成過程のことを「遺言の作成過程」といいます。)を含めて見れば遺言は遺言者の真意が反映されてい
   ることが確認できるとして、「口授」を肯定したものと考えられます。
   口授が肯定された⑧では、公証人は遺言により利益を受ける被告を通じて遺言者の意向を確認して遺言書案
   を用意しており、遺言の作成過程を見ると、遺言に遺言者の真意が反映されているのか疑義が生じ得る事案
   言えますが、遺言者が当該遺言書案の個々の内容ごとに間違いない旨の意思を表明している点等から(なお、
   第一審判決では、長男である原告に遺産を相続させないことでよいかを確認し、遺言者からそれで良いとの回
   答を得た点も指摘しています。)、遺言の作成手続を見ると、遺言に遺言者の真意が反映されていることが確
   認できるものとして口授を肯定したものと考えられます。
    なお、⑦については、仮に弁護士が遺言者と面談して遺言書案を作成したのみでは遺言者が当該遺言書案の
   作成に実質的に関与したとは言えないとしても、遺言の作成手続において、遺言者が遺言書案の個々の内容ご
   とに間違いない旨の意思を表明していること、受贈者の名前や数字の部分について声を出して述べていること
   から、⑧と同様に遺言の作成手続を見ると、遺言に遺言者の真意が反映されているとして口授を肯定したと説
   明することもできます。
   以上に対して口授が否定された⑩⑪では、公正証書の元となった当該遺言書案等が受遺者作成のものであっ
   たり(⑩)、遺言者が作成に関与したとは認定できず(⑪)、遺言の作成手続においても単純な肯定的な発言
   があったのみであり、遺言書の作成過程や遺言の作成手続において、遺言に遺言者の真意が反映されていると
   確認できる事情が見当たらない事案です。

 遺言の趣旨に合致する発言があった場合(1ウの類型)

  口授が肯定された例について
   公証人が予め他人から遺言の趣旨を聴取してこれを筆記した書面を作成しておき、遺言者から口授を受けそ
   の趣旨が筆記と同じであった事案で、筆記と口授の順番が逆でも、遺言者の真意を確保し、その正確性を記す
   るという遺言の方式を設けた法の趣旨に反しないとした(大判昭和6年11月27日大民集10巻1125頁)。
   公証人が予め受遺者の1人から聴取して筆記清書(不動産を4名に均等に分け与える旨の内容)したうえで、
   これを遺言者に読み聞かせたところ、遺言者が「この土地と家は皆の者に分けてやりたかった」等と発言した
   (最判昭和43年12月20日判タ230号165頁)。
  口授が否定された例について
   公正証書作成当時意思能力の欠如に近い状態にあった遺言者Aが公証人に対して当該遺言の趣旨(Xに包括
   遺贈する)と合致する発言を述べたものの、作成の3週間前には「Yの自由にしてください」などと自筆した
   遺言書と題する書面をYに交付しており、公正証書作成を嘱託したXの夫は事前にAの意向を確認しておら
   ず、公証人はXになぜ包括遺贈するのかAに確認していない(広島高判平成10年9月4日・判時1684号70
   頁)。
  判例の傾向について
   口授が肯定された⑫⑬では、公証人が用意した当該遺言書案(原稿)は遺言者以外の者が作成した書面ある
   いは遺言者以外の者から公証人が聴取した内容に基づくものであり、遺言書の作成過程を見ると、遺言に遺言
   者の真意が反映されているとは必ずしも言えない事案ではありますが、遺言の作成手続において、遺言者が遺
   言の趣旨に合致する発言があったことから、口授を肯定したものと考えられます。
   これに対して口授を否定した⑭では、遺言者Aが遺言の作成手続において遺言の趣旨(Xに包括遺贈する)
   と合致する発言をしたものの、その3週間前にこれと矛盾する趣旨(Yの自由にしてください等)の書面をY
   に交付していること、遺言当時遺言者が意思能力の欠如に近い状態にあったこと、公正証書の作成を嘱託した
   のがXの夫であるのみならず、同人は遺言者の意向を確認しておらず、遺言の作成手続で公証人もなぜXに包
   括遺贈するのか確認していないこと等、上記発言が遺言者の真意ではないとの疑義を抱かせる特段の事情が見
   られることから、口授を否定したものと考えられます。
  小括(まとめ)
   以上から判例の大まかな傾向としては、以下のとおり言えるものと考えられます。

 遺言の作成手続で何ら発言がない場合には、口授が否定される。
 遺言の作成手続で単に肯定的な発言があったのみの場合は、遺言の作成過程または遺言の作成手続におい
 て、遺言に遺言者の真意が反映されていると確認できる事情が見られる場合(遺言者が、遺言書案の作成過程
 に実質的に関与していること、遺言の作成手続において遺言に係る修正・補充の具体的な指示や確認をしてい
 ること等)の場合には、口授が肯定され、かかる事情が見られない場合には、口授が否定される。
 遺言の作成手続で遺言の趣旨に合致する発言があった場合には、当該発言が遺言者の真意ではないとの疑義
 を抱かせる特段の事情(遺言当時、遺言者の意思能力が著しく低下していた等)がない限り、口授が肯定され
 る。

【本件の考察】

 はじめに

 本件は、遺言者が遺言の作成手続で(同人の)二女の氏名の誤記の訂正を申し入れていること、公証人が当該遺言
書案(原稿)を読み上げた後、遺言者に対して間違いないか尋ねたところ、遺言者がそれで間違いない旨答えた事案
であり、その他は遺言者が発言せず頷いていただけであるとしても、発言がない類型(1アの類型)とは言えませ
ん。また、遺言者が遺言の作成手続で二女の氏名の誤記の訂正を申入れているというだけでは、遺言の趣旨に合致す
る具体的な発言があった類型(1ウの類型)には当たらないものと考えられ、本件は、単純な肯定的な発言があった
類型(1イの類型)に分類できる
ものと考えられます。
 本件では口授について第一審判決と控訴審判決とで結論が異なっています(第一審判決では否定、控訴審判決では
肯定
)。これは、遺言の作成過程または遺言の作成手続において、遺言に遺言者の真意が反映されているものと確認
できる事情が見られるか否かという評価の相違による
ものと考えられます。
 以下、この点を本件の事実関係に即して見ていきます。

 本件遺言の作成過程1(I弁護士のC美からの聴取等)について

 本件では、I弁護士がA子(控訴人)を病室の外に退出させ、30分ないし40分間にわたり、C美(遺言者)から
遺言事項を聴取
して書面に整理し、L公証人はこれに基づいて本件遺言の原稿を作成しています(【事案】⑶乃至⑹)。
 第一審判決は、「L公証人が認識した本件遺言の概要は、あくまでもⅠ弁護士を介した伝聞に過ぎず、誤謬を含む
危険がある」と説示しており、I弁護士によるC美から聴取等では本件遺言に遺言者の真意が反映されていると言え
る事情に当たらないと判断
しているものと考えられます。
 これに対して、控訴審判決では、口授を肯定する理由の中で、「あらかじめI弁護士がC美から聴取した遺言内容
に従って準備した当該遺言書案をC美に交付し、これを各項目ごとに読み聞かせて、その内容がC美の真意に合致す
ることの確認を得」と述べていることから、I弁護士によるC美からの聴取を本件遺言にC美の真意が反映されてい
ると言える事情として判断
したものと考えられます。
 I弁護士がかつてD代の遺産分割調停においてC美の代理人として同手続を遂行していたことは(【事案】⑴)、
かかる判断に影響したものと推測されます。

 遺言の作成過程2(本件遺言の作成手続直前におけるC美の発言)について

 若干気になりますのは、C美が本件遺言の作成手続に入る直前に公証人に対して、長男であるB夫(被控訴人)に
は相続させる意思がなく、長男・長女の遺留分に相当する財産のほかは二女のA子(控訴人)に相続させたいと考え
ている旨話していること
です(【事案】の⑻)(以下この発言を「本件発言」といいます。)。
 本件遺言の内容は、不動産以外の財産については本件発言どおりのものであるとしても、不動産の換価金について
は、諸費用等を控除した残額を相続人全員(長男を含む)で平等に相続させるものであり、本件発言とは相違し、本
件遺言がC美の真意を反映したものか疑義を生じさせるとも言えます。
 筆者の推測ですが、控訴審判決の認定によれば、本件遺言時においてC美は会話も正常にでき、理解力及び判断力
にも問題がなかったこと
C美はL公証人から当該遺言書案の条項ごとに真意を尋ねられた都度頷いて了承し、二女
の氏名の訂正を申立ていること
に照らせば(【事案】の⑽)、仮に本件発言の趣旨が不動産についても妥当するので
あればC美から訂正の申立てがあるのが自然ですが、そのような申立てがなかったこと
から、控訴審判決は、本件発
言を本件遺言がC美の真意を反映したものか疑義を生じさせる事情とは判断しなかったもの
と考えられます(なお、
本件発言に係るより詳細な事実関係は不明ですが、仮に本件発言が不動産以外の財産について述べたものであれば、
本件発言は本件遺言の趣旨に合致することになります。)。

 遺言の作成手続について

 上記のとおり、本件では、C美がL公証人から当該遺言書案の条項ごとに真意を尋ねられた都度頷いて了承し、二
女の氏名の訂正を申立ています
(【事案】の⑽)。
 この点について、第一審判決は、このような事実があっても、本件遺言がC美の真意を反映したものか確認できる
事情には当たらないと判断したのに対し、控訴審判決は、かかる事情に当たるものと判断したものと考えられます。
 判例の傾向(前記【判例の傾向】3)からは、これらの事実は、遺言者の真意が反映されたものと確認できる事情
に当たるのではないかと考えられます。

 小括

 以上のとおり、本件では、事実関係に対する評価の違いから第一審判決と控訴審判決とで結論を異にしたものと考
えられますが、「口授」を肯定した控訴審判決は、判例の傾向に沿っているものと考えられます。

以上

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